過労による自殺に対し、「死ぬくらいなら仕事を辞めればいいのに。人生いくらだってやり直せるんだから」と感じるのはごく普通の感想であろう。
もちろん、そう口にする人も分かっているのだ。そうした普通の思考ができる精神状態ではなかったからこそ、死を選んでしまうのだと。理性的に考えられるなら、誰もそんな選択などしない。
分かってはいるのだ。ただ、それが自分の身にも起こりうることだと想像できないだけで。
| 死に至る心理
過労自殺というのは、同業者そして同僚の全てが同じ道を選んでいるのではない以上、その人の能力が低い、あるいは要領が悪いために、他人よりもハードに働かなければならないことで生じるというイメージはないだろうか。
だが本当にそうなのだろうか。だとしたら、社内で異動させられるなどするのではないか?
確かに、期待されるだけの仕事ができていないというのは、ある視点からは間違っていないだろう。しかしその期待される仕事の質や量は妥当なものだったろうか?
思うに、その人は周りの人間にとっては便利な存在になっているのである。全てその人に押し付けておけば、他の者は楽だ。お前がやるのが当たり前なのだと責め立てて自分の分まで仕事をさせ、何か問題が生じたら責任を擦り付ければよい。
その人も、比較的まだ理性的な思考ができるうちは、当然退職も考えるだろう。
だが、疲労した状態では思考もネガティブになるのが普通で、「今の仕事を辞めたら次はないかもしれない。路頭に迷うかもしれない」という心配が払拭できない。
また、自分が辞めたらどうなるか。周りの人間は納得しないだろう。顧客などにも迷惑がかかる。
だから、働き続ける。
やがて「自分は心か身体を壊さない限り、今の状況から抜けられない」と考えるようになる。
壊すとはどういうことか。精神あるいは内臓の疾患か、悪性腫瘍もありえる。もしくは脳内出血で救急搬送か。いずれにしろ完治は望みにくいのではないか。後遺症が残るかもしれない。
これからの人生は明るいものにはなりえない。
今の自分は、自分が壊れるのを待っているだけの状態だ。
こんなことを考えるうちに、自分の心身を守ろうという本能がじわじわと鈍っていく。
そのうち、例えば疲労しきった状態で駅のホームに立っているときに「いま一歩前へ踏み出せば」、車を運転しているときに「いま路肩に突っ込めば」、この苦しみは終わると考えたときに、反射的にそれを行動に移してしまうことになる。
| 私は大丈夫、だけど
こんなことを書いていると、こいつは死ぬんじゃないかと心配される方もいるかもしれないが、私はまだ客観的に自分を眺められているので大丈夫。
ただ、あなたの周りにも、こんなふうになりかけている人がいるかもしれない。
共感し、手を差し伸べてあげて欲しい。
自分からは逃げられないものだから。